交換日記

第7回離島と離島の暮らしの比較研究「らしさとか歴史って今なんじゃないかという話」

いっしーさんへ

どーも!
台湾旅行を振り返るにも1カ月も以上前のことになってしまいました。

結論から言うと、ダニは大丈夫じゃないです。
日本に帰って来てから、かゆくて眠れない日もありました。
今は病院に行き、薬をもらったのでかゆみも腫れも治まりました。
どっちの意味でもダニは大丈夫じゃないです。

ダニの話はダレトクでもないのでこれくらいにしておきます。

さてさて、いっしーさんからあった通り、台湾旅行で話したことを思いつきで書き留めようと思います。

緑島のレストランで、いっしーさんからアーミッシュの話を聞きました。
アメリカで現在でも移民自体の生活様式を保持している人々です。

この話で意見が割れたのを覚えています。
いっしーさんはアーミッシュみたいにずっと続く生活を続けていくのが人間らしいと。
僕は、技術の研鑽と革新を起こし続けてそれに順応していくことの方が人間らしいと。

日本に帰って来てからもずっとこの話を思い出します。

アーミッシュの生活スタイルは、アメリカにおけるイギリスからの移民時代には最新のものであったかもしれません。ゴールドラッシュに沸く世の中にあって、聖書にある通り質素に暮らしましょうという制約を設けた堅苦しい人々だったのかもしれません。でも、いつの間にか「伝統的」とか「何百年つづく」という冠詞がつくようになったものではないかと想像しています。

海士町でずっと変わらないことと言えば、(少なくとも僕は)いつから始まったのか分からないお祭りや風習がたくさん残っています。
ハデ干しの姿をなくさないために努力している人もいます。
農耕だけでなく狩猟採集のやり方とそのための知恵は長年変わっていないはず。
島の山や海に負担をかけないように生活しようと、できる限りを自給自足で賄おうとしている方もおられます。
コミュニティ内での冠婚葬祭を通したコミュニケーションも目には見えないけれど、そんなに大きくは変わっていないのではないでしょうか。
少なくとも僕は海士町のこうした姿にすごく魅かれます。

一方で、海士町という町が町の外で語られるときに出る「高校・CAS・隠岐牛・岩ガキ」についても考えるのです。
どれも島の人の生活を守るためという理念は通底しています。
CASの加工場ができて(少なくとも一部の)島民の生活は変わったはず。高校魅力化を進めた結果、島前高校とそこに通う生徒や取り巻く環境は変わったはず。隠岐牛を生産するようになって島の畜産は変わったはず。岩ガキの生産が始まって島の漁業に変化があったはず。

でもいつしかそれが当たり前になり、島の生活として浸透していく日が来るのかもしれません。
きっとどちらが正解ということもなく、どちらも正しいのかもしれません。

地方創生での文脈上で語られる海士町の取組の原動力は、なりゆきの未来と意志ある未来を比較した際の危機感だという話を聞きます。でもそれってごくごく最近の話だと思うのです。
現在まで続く”伝統的な”もので、始めた当初からこれだけは永代続けていこう!という意思があったものってどのくらいあるのでしょうか?

海士町で続くお祭りにはお大師さんや十日戎、蛇巻、崎のだんじり、豊田のホーラエンヤなど他の地域でも見られるけどちょっとだけ違うようなお祭りが多いと感じています。
きっといつの頃か、誰かがマネをして始めたとか楽しそうだからうちもやってみようとか、そんな始まりだったんじゃないかと勝手に想像しています。
そんな感じで続けているうちに独自のものに変わっていったんじゃないかなと。
同じようにハデ干しやカナギ漁や民謡も決して海士町独自のものではないし、そんなに古くもなければ宗教がらみでもないけれど、いつのころからか始まり、続いているから海士町らしさの一要素になっているんじゃないかと思うのです。

未来の島民が島の生活として何を選択し、どんな生活を送るのかは我々には分かりません。
何が歴史として語られ、何に愛着を感じるのかは想像だにできません。

楽しいからとか必要だからと新しいものを取り入れて、それを続けていければいつの間にか伝統になっていくし歴史になっていくのだと思います。
だから、変わらないことを続けていくことも、新しいことを受け入れていくことも、どちらも人間らしい営みで、今の我々の生活が歴史をつくっていくことには変わりないんじゃないでしょうか。

半ドアライフもきっと、続けていればいつの間にか歴史になっていくのかもしれませんね。

ABOUT ME
芦原昇平
島暮らし5年です。