交換日記

第2回離島と離島の暮らしの比較研究「俺たちは一人で生き、一人で死んでいくが」

あっしーくんへ

 

やあ。僕です。久米島はさすがに涼しくなってきましたが、まだまだ気温が25度を超え、半袖で十分な日々です。

 

あっしーくんは「無為で無駄に思える時間を共有」していたとおっしゃいましたが、僕としては君たちとは有意義で高尚な話ばかりだったように思います。「容疑者Xの献身」の松雪泰子の幸薄さがこそ至高、とか。おっと、無為で無駄な話でしたね。

 

半ドアキャンプは楽しかったですよね。あれから色々なキャンプを体験しました。しかし、そのへんのゴザと拾ってきたソファを引っ張り出して広げるだけだった、耳浦キャンプ場のあの一夜を超えるキャンプ体験は、いまだかつてありません。

 

久米島でも飲み仲間や友人はできましたが、正直な所、やはり沖縄は異国だなあと思います。呼吸のタイミングが異なる、といいますか。笑いのツボも違いますし。孤独や寂しさを感じながら生きていくのは、いづれ「生きていて良かった」と思える夜につながるので、決して悪くない生き方なのですが、あっしーくん家に勝手にあがりこんでポンコツどもと遊んでいた、寂しさなんて感じなかったあの頃を、時折ゴールデンスランバーのように懐かしく思い返します。

 

保々見の皆さんと遊んだり、お祭りも楽しんだりしているようで、何よりです。集落のみんな総出で、お祭りや稲作や行事に取り組み、なおらいでお酒をともにして笑い合う姿は、とても尊いものです。海士に住んでいる時は「仕事やらで疲れているので休みの日ぐらい家でゴロゴロしてたい」なんてことを思っていましたが、島を離れてみるとあれはやはり良いものなのだと感じ、少しノスタルジックでセンチメンタルな気分になることがあります。人はきっと、仕事と家庭と趣味以外にも、何かしらやるべきことがあると、人生にハリが出るのでしょう。

 

久米島は人口7800人程度、海士と比べたらかなり多いです。アパートも多く、おとなりさんが誰かわからずにも暮らすことができます。集落ごとに行事もお祭りもありますが、海士の方がより総出の手作り感があるように思います。

 

久米島はかつて「くみ(=米)のしま」と言われていました。それほど稲作が盛んだったのです。かつての風景を撮影した写真を見せてもらったことがあります。一面に広がる青々とした田園風景と深い紺色をたたえた海がとても美しく、まるで桃源郷のようでした。その後大規模な干ばつとサトウキビの高騰に伴い、田んぼからサトウキビ畑への転地が進みました。今でも稲穂祭のような行事が残っていますが、稲作はほとんどの久米島の方にとって、日々の営みからは遠いものとなっています。

 

ところで、久米島の地元出身者からは異口同音に、ある声を聞きます。「久米島の人は横の連携をとるのが苦手」という言葉です。確かに、協働や連携というものが得意ではないな、と思う姿は多く目に映ります。

 

この原因は風土や地理、歴史などが複雑に絡み合うため、一言では言い表せませんが、一つには「仲間感の欠如」が挙げられるように思います。そして、海士町と比較したときに、「稲作の喪失」が「仲間感の欠如」に大きな影響を与えているように思えるのです。

 

稲作の作業や、それに伴う祭りのような伝統行事は、地域に脈々と受け継がれてきたアイデンティティであり、生活や信仰の柱であり、地域の根幹です。この根幹を大切にする人は仲間である、というものさしにもなります。自分と同じ気持ちでいてくれるのですから。

 

また、稲作やお祭りには、仲間感を高めるような「装置」があります。

 

例えば稲作の場合は、共同で作業を行う際の連帯感や田植えを終えたときの達成感、植えた稲の成長を見守る充実感、収穫し、炊きたての新米をみんなで食べる喜びなど、様々な感情を、ともに味わいます。ときには大変な作業や苦しい思いも分かちあうこともあるでしょう。

 

マスターキートンの「喜びの壁」という話では、主人公が町の人や動物たちとともにオーロラを見るシーンがあります。そのときのセリフに、このようなものがあります。

「俺たちは一人で生き、一人で死んでいくが、この一瞬、この場にいる生き物だけは自分の宇宙を抜け出して、同じことを感じている」

つらいことでも楽しいことでも、この「同じことを感じている」という経験を分かち合えると、より仲間感が湧いてくるのだと思います。そして、稲作やお祭りを通じ、こんな瞬間が時たま訪れてくれるようにも思います。

 

さらに、この稲作やお祭りの感情的な体験は、歴史的に続いてきたものであるため、世代を越えて理解しあえる共通体験となりうるのです。だから、稲作やそれに伴うお祭りを経験すると、老若男女問わず、仲間感を持ちやすい。

 

まとめると、稲作というものは単なる農業の中の一つではなく、仲間感を醸成する触媒なのだと思うのです。そして、コミュニティの形成における稲作の価値は非常に高いのだと。

 

稲作が失われた久米島に住んでみて、そんなことをより感じます。

 

P.S.偉そうなことをのたまいましたが、自分はぐうたらな人間なので、稲作を進んでやるかと言われると家でゴロゴロしていることを選んでしまいがちです。人間の業は深いのでした。

 

石坂達

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石坂達
沖縄・久米島在住。ブログやってます。